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伏龍羅漢図

狩野芳崖作家解説
1828(文政11年)-1888(明治21年)
カノウホウガイ
Hogai KANO

J-259
伏龍羅漢図
フクリュウラカンズ
英語 Arhat with Dragon

制作年:明治18年
サイズ:149×89.5cm
技 法:紙本著色

平成06年度 中野治孝 氏 寄贈

 狩野芳崖は、長門長府(山口県下関)に御用絵師の子として生まれた。江戸にて狩野勝川に入門し頭角をあらわすが、狩野派の型にはまった絵画に満足せず雪舟などの古典絵画を研究し独自の画風を模索した。当時新しい日本絵画の創出を模索していたアメリカ人教師フェノロサは、その実作者として狩野芳崖を見出し、明治18年からは、フェノロサの主宰する鑑画会に出品し活躍する。21年には傑作「悲母観音図」を制作。狩野派的な描線を残しながらも西洋画法を取り入れた仏教的画題や山水図に取り組み、近代日本画の基礎をつくった。
 本作は、明治18年第一回鑑画会大会で三等賞となった作品で、フェノロサの理論と芳崖の独創が融合した近代日本画の始まりを告げる記念碑である。渦巻く雲と湾曲した岩は、羅漢の顔面に向かって動的に視線を誘導しつつ不思議な奥行きの効果を生みだしている。さらに羅漢の後光には頭部の影が描かれ、独自の空間表現が強く意識されている。また甘えるような仕草で眠る龍の表情は、牛の口を参考にしたといわれる。色彩は明るく軽やかで、宗教的画題を離れた自由な創造の息吹が画面に満ちており、近代絵画の萌芽が強く感じられる。西洋顔料の使用については、現在意見が分かれている。
 本作は大正9年芳崖33年忌「狩野芳崖遺墨展」(岡倉秋水主催)にフェノロサ未亡人所有作が日本に里帰り出品、日本人実業家の手にわたり、大正11年4月の東京美術倶楽部で行われた同家の売りたて以降、73年間行方不明となっていた。所蔵家の篤志により当館に寄贈され、幻の名画の発見と話題になった。

狩野芳崖(1828~1888)は立体感や遠近感が乏しかった当時の日本画表現に、西洋の写実性と東洋の精神性を融合させて全く新しい日本画を生み出した近代日本画黎明期の巨人。本図はまずはじめ、明治初年頃美術運動を展開していたアーネスト・フェノロサの私的コレクションとして海を渡った。大正9年の芳崖遺墨展出品のため日本に里帰りののちは、福井出身の有力者たちの手を転々としながら大切に受け継がれていた。本図は70年以上所在不明であった代表作の1つで、平成6年に県立美術館へ寄贈後その存在が再確認された。