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寿星

下村観山作家解説
1873(明治06年)-1930(昭和05年)
シモムラカンザン
Kanzan SHIMOMURA

J-243
寿星
ジュセイ
英語 Jusei

制作年:大正4年頃
サイズ:168×370.2cm
技 法:絹本着色
形 状:六曲一双屏風

平成03年度 購入

 下村観山は紀州徳川家に仕えた能の小鼓幸流(こうりゅう)の家元の子として和歌山市に生まれた。上京後は、狩野芳崖、橋本雅邦に師事し、東京美術学校に第1期生として入学、雅邦や大和絵の巨勢小石に学ぶ。岡倉天心にその才能を買われ卒業と同時に同校の助教授となり、日本美術院の創立に加わるなど天心と共に行動し、天心の没後は横山大観らとともに美術院を支えた。観山は大観や菱田春草の革新的な試みに対し、西洋画の技法を参考に大和絵、琳派などの伝統的絵画に近代的な解釈を試みた穏健な画風を確立した。
 寿星とは寿命を司る南極星のことを指し、中国北宋時代の道士である寿老人がその化身とされた。日本では七福神の一人となり1,500年生きた玄鹿を伴い吉祥図として描かれた。観山も本作を初めとして数点の作品を残しているが、何れも通常描かれる頭の長い姿ではなく現実の人間に近い容貌で描かれている。また琳派風のたらし込みが用いられた岩に座る寿老人の前方には広大な空間が広がっているが、これは観山の明治末から大正初期にかけての作品に特徴的な表現で、《白狐》《弱法師》などこの時期の代表作にも同様の空間が見られる。

下村観山(1873-1930)は、和歌山で篆刻を業とする父親の三男として生まれました。家は代々紀州徳川家に能楽の鼓をもって仕えていました。狩野芳崖、橋本雅邦という明治の巨匠二人から狩野派の真髄を学んだのち、東京美術学校で岡倉天心の薫陶を受けます。古典に範をとり、そこに面白みと新しさを加えた穏健な作風により、岡倉天心から理想の体現者としての格別の信頼が寄せられました。天心が野に下った時は行動を共にし、横山大観、菱田春草らと共に日本美術院の創設に参加しました。本作の題である「寿星(じゅせい)」とは南天に輝く一等星で、泰平や長寿の祈願の対象として、中国で古くから信仰されてきた星です。寿老人(じゅろうじん)はその化身とされ、玄鹿(げんろく)などとともに吉祥の象徴として描かれてきました。観山はこの古典的な画題を、西洋的な空間と人物表現を織り交ぜながら格調高く描いています。